『野を駈ける光』虫明亜呂無



虫明亜呂無という作家が、競馬好きであるということを知ったのは、今から十数年前、私がまだ大学生の時に買った寺山修司と虫明亜呂無の『対談 競馬論』がきっかけでした。競馬について書いた寺山修司の著作を探していて、本屋で偶然『対談 競馬論』を見つけたのです。ちなみに『対談 競馬論』は引越しの時に他の本と一緒に処分してしまったのか、失くしてしまいました。

それ以外では、以前ブログで紹介したことのある『日本の名随筆 競馬』でしか、虫明亜呂無の書いた文章を読んだことはありませんでした。

というのも、虫明亜呂無の本のほとんどが絶版になってしまっているから。古本は苦手で、出来れば新品の本を買いたい私にとって、読みたい本が絶版になってしまうというのはつらい。『日本の名随筆 競馬』を読み返した時、久しぶりに虫明亜呂無の『野を駈ける光』に収録されている「野を駈ける光 競馬について(抄)」を読んで、やっぱりもっと虫明亜呂無が競馬について書いたものを読みたいと思うようになり、とうとう先日初めてアマゾンのマーケットプレイスを利用して、『野を駈ける光』を購入。届いたのは、思っていたよりも状態の良い本でした。ちなみにしおりに使ったのは、以前IPAT会員に送られてきた記念品。2008年の第53回有馬記念というと、優勝馬はダイワスカーレット。

早速『野を駈ける光』を読みました。こんなに詩的な表現で競馬について書いてくれる作家は、今いないんじゃないか。それでいて、予想に対する姿勢はプロ並みあるいはそれ以上ではないかと思うほど。

そうかと思えば、「恋の馬券」という文章のなかでウィステリヤという馬について次のように述べている。

ウィステリヤは、私の恋人である。
ほんとうの恋人に話しかけないように、指ひとつ触れないように、私は遠くから彼女を思うだけで、これまでに彼女を馬券の対象にしたことはない。
私と彼女のあいだは純潔であった。そして純潔であることに、かすかな痛みがあった。その痛みは彼女の名のとおり藤の花の冷たいかおりを連想させた。



しかし、虫明亜呂無は、ウィステリアの馬券を買います。ウィステリヤとの「サディスチックな別れ」のために。

売り場の窓口に手を差し入れたとき、私は童貞を失うような、戦慄をおぼえた。契りをかわして、別れる。そんな感じであった。私はすべてをそそいだ。
意表をついて先行作戦に出たウィステリヤは、私の目の前で一気にリコウを抜きさり、先頭にたった。それが彼女のみせてくれた、心貧しく、醜い私への、最初で最後の愛のあかしのようであった。そして、彼女は敗れた。
雨があがり、野に、山に、もやが流れる。福島は、もう秋の夕暮れなのである。



これは、1966.9.8の日刊スポーツに掲載された文章のようです。ちなみにこれは『対談 競馬論』にも収録されています。

『野を駈ける光』には競馬以外のスポーツや芸術について書かれたエッセイも収録されています。

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虫明 亜呂無,玉木 正之

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『野を駈ける光』の状態が良かったので、同じく絶版で欲しかった競馬関連の文庫をマーケットプレイスで購入しました。



失くしてしまった『対談 競馬論―この絶妙な勝負の美学』と山口瞳の『草競馬流浪記』。これまた状態のいいものでした。

山口瞳の『草競馬流浪記』は、以前図書館の閉架書庫にあったのを借りて読んだことがあるのですが、ふと読み返したくなる本で、出来れば手元に置いておきたかったのです。今、暇な時に拾い読みしていますが、やはり面白いです。

それにしても、こんなに面白い本なのにあっさり絶版にするのはやめてもらいたいですね。ただでさえ、読みたいと思える競馬関連の本って少ないのに。
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