『イシノヒカル、おまえは走った!』沢木耕太郎

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二十七頭だてのゲートが音立ててあいた時、十三万人の観衆から「ウォー」という地鳴りにも似た異様な喊声が湧きあがった。それは、もうこれで重苦しい緊張から解き放たれたのだ、という安堵の溜息であったかもしれない。
(『イシノヒカル、おまえは走った!』(『敗れざる者たち』収録)より)



さて、今年もダービーの日が近付いてきました。昨年は宮本輝の『優駿』を読み返しましたが、今年は沢木耕太郎のスポーツノンフィクション『敗れざる者たち』に収録されている『イシノヒカル、おまえは走った!』を読み返しました。これも、何度読んでもいい競馬ノンフィクションです。

昭和47年、第39回東京優駿に出走する一頭の競走馬イシノヒカルを管理する浅野厩舎に若き沢木耕太郎がダービーの一週間前から住み込んで書いた密着レポ。

昭和47年・・・私はまだ生まれておらず、イシノヒカルの名前を知ったのも、この『イシノヒカル、おまえは走った!』を読んでからでした。イシノヒカルは皐月賞でランドプリンスの2着になり、ダービーでも注目の一頭。担当の馬丁(現在でいう厩務員)向中野さんも自然とピリピリした様子をみせる。そんな競馬界で最も緊張感あふれるダービー前の一週間に当時はまだほとんど無名だったであろうノンフィクション作家が厩舎に住み込むだなんて、よく許可が下りたものだなぁと思うのだけれど、昔は今よりももっと大らかだったのかもしれない。

そのダービー前日の新聞に調教師岩下密政の死亡記事が小さく掲載されたのを目にした著者は、昭和26年、当時騎手だった岩下がトキノミノルに騎乗したダービーへと思いを馳せる。また、ある時は、昭和40年のダービー直前に大本命とみられたダイコーターを大金を払って譲り受けた上田清次郎のことに触れ、そして、さらにはイシノヒカルの調教師であり元騎手の浅野武志が大本命トサミドリで挑んだ昭和24年のダービーについても・・・。

それにしても昔の競馬人は熱い。それに個性的。たとえば、昭和26年のダービーでは、花形騎手栗田勝のダイコーターが本命だったのですが、キーストンに騎乗する山本正司騎手は「栗田さんに、ダイコーターに、勝ちたい」と言って周囲に笑われたそうだ。栗田騎手は弟弟子である山本騎手に「俺はダイコーターでキーストンには負けない。しかし、俺がもしキーストンにのり、おまえがダイコーターにのったら、俺はキーストンでも勝てるよ」と言ったのだとか。熱い!そして、その年のダービーを制したのは、キーストンでした。

ダービーでイシノヒカルに騎乗する加賀武見騎手は、トップ騎手でありながらまだダービーを勝っていなかった。加賀騎手は著者に「ダービーなんて、一生の一番最後にとればいいのかもしれない。でも、今年で十二回、そろそろチャンスかもしれないな。運じゃなく、自力で取れるかもしれん」と言い、イシノヒカルについて「根性のある馬だ。競馬は血統じゃない。馬しだいだ。根性のある奴が勝つし、勝たなければ嘘だ。イシノヒカルには私の生き方と通じるところがあるような気がする」と話している。

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加賀騎手がダービー初制覇をかけてイシノヒカルと臨んだ第39回東京優駿の結果は・・・。


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